2020年4月3日 衆議院 安全保障委員会 屋良朝博

■アメリカ軍基地内の新型コロナ感染症対策について質問 ■政府が把握している事実関係について質問

質問内容についての要約

アメリカ軍基地内の新型コロナ感染症対策について質問。

在日米軍関係者の感染について、政府が把握している事実関係について質問。

私たちが把握している状況というのは報道ベースであり、横須賀で一例、嘉手納で二例が報道で出ていたが、 嘉手納基地の場合、どうも嘉手納基地が出したSNS、フェイスブック、それで発表し、報道によると、それを外務省沖縄事務所が問い合わせたところ、フェイスブックを見てくれというふうなことを言われたという報道もある。

今、在日米軍、沖縄だけではなく横須賀にも佐世保などにもあるが、その辺で発生した状況については、周辺住民が情報にアクセスする手段があるか。など質問。

議事録

201-衆-安全保障委員会-3号 令和2年4月3日 

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○屋良委員 立国社の屋良朝博でございます。よろしくお願いいたします。(発言する者あり)ありがとうございます。
 通告した質問の順序を少し変えて、先ほど来話題になっておりますアメリカ軍基地内の新型コロナ感染症対策について、まずお伺いしたいと思います。
 照屋委員の質問で、個別の施設ごとの発生症例というか現状を聞かれておりましたけれども、個別の情報については、日米調整の上公表しているというふうなお話だけで、現在どうなっているのかということがはっきり明らかにされておりませんでしたので、もう一度伺わさせていただきたいと思います。
 在日米軍関係者の感染について、政府が把握している事実関係を教えてください。

○鈴木(量)政府参考人 お答え申し上げます。
 新型コロナウイルス感染症対策につきまして、在日米軍と緊密に連携しております。これまでも、日米合同委員会合意に基づいて、米側から適切に連絡を受けているところでございます。
 その仕組みといたしましては、平成二十五年の日米合同委員会合意のもと、在日米軍の各病院の責任者とその地域を所管する日本の保健所長との間で、第一に、特定の感染症につき、相互に通報すること、そして第二に、広範な防疫措置が必要になった場合には、相互に緊密に協力し、必要な措置をとることとされており、感染症が発見された場合には、直ちに日本の保健所に対し通報が行われることとされておりまして、現在、日米の衛生当局間で対応が協議されてきていると承知しております。
 引き続き、在日米軍と連携し、適切に対応していきたいと思っております。

○屋良委員 そうすると、今私たちが把握している状況というのは報道ベースだということだというふうになると思いますけれども、横須賀で一例、嘉手納で二例が報道で出ているかと認識しております。
 嘉手納基地の場合、どうも嘉手納基地が出したSNS、フェイスブック、それで発表し、報道によると、それを外務省沖縄事務所が問い合わせたところ、フェイスブックを見てくれというふうなことを言われたというふうな報道もあるんですけれども、そこの事実関係を確認させていただいてよろしいでしょうか。

○鈴木(量)政府参考人 お答え申し上げます。
 御指摘いただきましたとおり、米側が過去に個別の事案について一部公表したことは承知しております。
 他方、去る三月三十一日に、アメリカ国防省は、米軍関係者の新型コロナウイルス感染症の感染状況の個別の事案の詳細について対外的に明らかにすることが安全保障上米軍の運用に影響を与えるおそれがあるとの理由から、感染者の総数のみを公表するとの全世界的な統一な指針を公表したと承知しております。
 この方針も踏まえ、日本政府として個別の事案について明らかにすることは差し控えたいと考えております。

○屋良委員 とすると、今、在日米軍、沖縄だけではなく横須賀にも佐世保にもいろいろありますけれども、そこら辺で発生した状況については、その周辺の住民が情報にアクセスする手段が今のところないということでよろしいんでしょうか、お願いします。

○鈴木(量)政府参考人 先ほど申し上げたとおり、日米合同委員会合意に基づきまして、感染者の行動履歴の追跡等を含めて必要な情報共有は日米間で行われております。感染拡大防止のために緊密に連携していくということも確認しております。在日米軍関係者が感染した事例についても、米側から適切な情報共有を受けてきております。
 したがいまして、公衆衛生上必要な措置をとるに当たっては問題はないというふうに私どもは考えておるところでございます。
 他方で、公表につきましては、これは日米間で調整の上、公表されることになるわけでございますけれども、その際には、安全保障上米軍の運用に影響を与えるおそれがあるとの理由から、そういうことを踏まえまして対応するということにしておる次第でございます。

○屋良委員 先ほど河野大臣もおっしゃっておりましたけれども、アメリカが適切に対応していると。多分、日本国内ではできないぐらいの対応でやっていると私は思っているんですね。基地だから、彼らは管理しやすいじゃないですか。だから、一つ司令官が、命令一下で部隊は動くものだとすれば、彼らは臨機応変に対応するだろう、しかも、日本の中で私たち一般の生活をしている国民よりも規制の厳しい中でやられているだろうというのは容易に想像ができるわけなんですね。
 現に、司令官の指令、お達しの中では、レストランに行ってもテークアウトしなさいとか、買物に行っても必需品だけを買う、通勤する間だけを移動しなさい、基地の中にいても勤務先に行くんだよと。シフトを変えて出勤日を調整して、多くの人と接触しないような、そんな工夫もしているというふうに聞いております。
 であれば、そういった情報をみんなに共有すればいいんじゃないかと私は思いますね。そうすることによって安心が生まれるじゃないですか。ああ、ちゃんとやっているんだな、日本の特措法以上な対応をしているんだなと。そういったものをやはりやるというのが大きな意味での安全保障につながるんじゃないかと思うんですけれども、大臣、その辺、どう思われますか。

○茂木国務大臣 先ほど来答弁をさせていただいておりますが、平成二十五年の日米合同委員会合意に基づきまして適切な通報等々が行われております。
 同時に、在日米軍につきましては、新型コロナ感染症の拡大防止、そして水際対策について、厳格な措置が実施をされているところであります。
 一つは、米国を含むあらゆる国から入国した者に対して十四日間の移動制限の、これは義務づけです、勧告ではありません。それから、空港から自宅等への移動について、非公共交通機関の利用の義務づけです。さらには、米国防省の定める四段階の健康保健体制の中で上から二番目のレベルC、これに引き上げての、不必要な外出の制限、そしてまた、会議、訓練、行事の制限や中止等の厳格な衛生措置が実施をされていると考えております。
 こういった通報の制度、また米軍がとっております措置、これによりまして、検疫上の大きな問題が出るとは考えておりません。

○屋良委員 テレビでは、毎日、感染者が見つかった場合には、当該自治体の長あるいは担当者が記者会見などをして現状を報告するわけですね。
 基地の中でのフェイスブックだけでの発表では、果たしてこの人の濃厚接触者がどのぐらいの範囲なのか、あるいは基地の中で働いている人たちと恐らく接触していたかもしれない、そういった情報も全くわからないし、行動履歴も出てこない。将校クラスの人になると、家族連れで、家族帯同で赴任してきて、子供を地域の学校に行かせている家庭もあるわけですね。そういうふうな地域の中で住んでいるアメリカ軍の関係者、そこで感染者が出たとしたときの対応をもう少しオープンに公表すべきじゃないでしょうか、情報を。
 今、国会では、もうぎりぎりの対応だ、ぎりぎりの状況に来ているんだ、そこで持ちこたえている状況だというふうに、国民に対しては、注意喚起、そして緊張感を持って生活していこうというふうに呼びかけている中ですよ。
 先ほど来、基地の中はブラックボックスになっているかもしれないとか、基地に対しては、アメリカ軍に対しては日本の国内法は適用されないからだとか、そういったことじゃ、今の状況を、一緒にこの難局を乗り越えていこうというふうなことを呼びかけている中で、一方、地位協定上、合同委員会合意だとか、アメリカ軍の安全保障上の理由だとか、そういうふうなことで情報が出てこないというふうなことであると余計に不安をあおってしまう。
 感染症法では、国と都道府県に対して、予防に資する情報を積極的に公表しなければならないというふうな義務づけをしているわけですよ。だから、それは在日米軍であっても誰であっても、この国に在する人たちに対してはそのような努力を呼びかけていく必要があるんじゃないかと思いますけれども、重ねて、大臣、お願いします。

○茂木国務大臣 通報の制度、それから米軍がとっている措置につきましては先ほど答弁をさせていただいたとおりであります。
 そして、各自治体等が発表しておりますいろんな、感染症の確認者等々、基本的には、どこでクラスターが発生するか、こういったことを考えて、その拡大防止という観点から行っていると考えておりまして、今、少なくとも米軍の基地内において、そういう状況にあるとは認識をいたしておりません。

○屋良委員 それであるなら、それも積極的に公表すべきだと私は思います。症例があそこで一件出ました、ここで二件出ました、それで、まあ大丈夫ですというふうなことで、どれだけの行動履歴があるのかもわからない、男女別もわからない、年齢もわからない、わからない尽くしだと、その周辺で生きている人たちはそれは不安ですよ。
 その辺もうちょっと、一般常識だと僕は思います、常識に沿った対応をやる。それは多分、在日米軍も拒否するはずがないと思うんですね。その地域を不安に追い込むようなことを、彼らだってそれは避けたいはずでしょう。そういった対応を僕はやはりやるべきだというふうにお願いしたいところでございます。
 それでは、次の質問に移らせていただきます。
 所信の中で、両大臣とも、我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさと不確実性を増しておりという言葉をお二人とも使われておりましたが、その安全保障環境という言葉の定義を両大臣にちょっとお伺いしたいと思います。お願いします。

○河野国務大臣 安全保障とは、一般的に、外部からの侵略などの脅威に対して、外交政策、防衛政策等を駆使して、国家及び国民の安全を保障するということを意味しているんだろうと思います。これに含まれる具体的な範囲といえば、外交、防衛に限らず、経済、技術など、さまざまな分野に及ぶんだろうと思っております。それはあらかじめ定まっているということではなくて、恐らく文化とかそういうことについても言えるんだろうと思います。
 この安全保障をめぐるさまざまな国際情勢を安全保障環境というふうに呼んでおります。

○茂木国務大臣 概念としての安全保障、これは今、河野大臣の方から答弁があったとおりであります。認識は同じにしております。
 そこで、安全保障環境といった場合には、こういった概念としての安全保障をめぐる国際情勢、そして地域情勢、さらに技術革新等、安全保障に変化をもたらす要因、こういったものを意味していると考えております。

○屋良委員 最近議員になった一年生が、何か当たり前のようなことを聞いているなと、もしかしたら思われているかもしれませんけれども。
 実は、この間、勉強会がありまして、防衛省の方がいらっしゃって、我が国の安全保障環境について説明なさると、プリントを持って来ていただいて、中身を見たら、中国とロシアと北朝鮮の軍事情勢だったわけですね。これは軍事情勢じゃないですかということを聞いたら、そうですと。だけれども、軍事情勢というのは安全保障の一要因でしかない、今大臣がお話しになったように、一要因でしかないんだけれども、どうも日本では安全保障とイコール軍事という概念が一般化しているんじゃないのかなというふうな問題意識で、この質問をさせていただいたんです。
 この安全保障環境という言葉が果たしていつごろ日本で使われるようになったのかということを国会図書館にちょっと問い合わせて聞いてみたら、例えば、防衛白書においては一九九二年に初めて登場した。「冷戦後の安全保障環境」という節のタイトルとして使われたということでございます。
 国会会議録検索システムを使っていただいて、国会では、じゃ、いつごろからこの安全保障環境という言葉が使われたのかということを調べていただいたら、一九七二年五月三十日の内閣委員会だったそうです。この年の五月十五日というのは、沖縄の復帰の年なんですね、五・一五で。
 そんな昔に、福田赳夫外務大臣が、国際情勢の変化を説明する文脈で使って、こう述べました。私は、今米軍が日本に駐留しているこの形は、我が国として好ましい形じゃないと思います、自衛力を増強して、米軍はできる限り引き下がってもらいたいというふうなことをおっしゃっています。すぐに引き下がれということではなくて、それは、自衛力の増強と米軍駐留の関連性を説明されながら、こうおっしゃっています。我々をめぐる安全保障環境の変化、そういうものに応じながらこの条約の運営というものを考えていく、これが私は当面の課題じゃあるまいかというふうに考えているというふうに説明されました。
 その後、この言葉が国会の中で登場するのは一九八七年まで待ったんですね、十五年間。会議録で散見されるようになったのは一九九〇年代後半になってからなので、それほど古いものではない。
 国会図書館、蔵書とか、電子データベース、インターネット資料で安全保障環境の定義について説明する資料を探してもらったんですけれども、それは見当たらなかったということなんですよ。なので、安全保障って、どうもその定義が曖昧なんだなというふうな気がしております。
 これは、防衛省の中では、多分、一般化というか、当然のことだ、当然の認識だというふうに思っているのは、防衛大学校の教科書に「安全保障学入門」という本があります。その第一章、「安全保障の概念」、第一項、「普遍的定義の欠如」とあるんですね。全く定義がない、普遍的な定義はありませんよと。それはなぜかというと、その安全保障という言葉を使う人の価値観、世界観に寄与するからであると。しかも、時代や状況によって、状況が違ってくるので安全保障という言葉が持つ意味が変わってくるよというふうなことを書いてあります。
 私は、個人的に何でこれにこだわっているかというと、それは、基地問題を考える上でも重要なポイントになるからじゃないかなというふうに思っているんですね。
 一般的に安全保障というと日米安保体制がすぐに想定されますけれども、これは体制であってシステムであると。基地をどこに置くかというのは違う態勢。英語で言うと、日米安保体制はシステムであって、基地をどこに置くかというのはポスチャー、態勢。だから、米軍再編のことをディフェンス・ポスチャー・レビューというふうに言っているわけですね。
 今回、米軍再編で沖縄の海兵隊をどさっと太平洋地域に分散配備する、それはポスチャーの変化であってシステムの変化ではないと。だから、日米安保体制というのは維持しながら、ポスチャーは変えることができるということを今回の米軍再編は証明してくれているのではないかというふうに考えております。
 なので、沖縄に基地を置くかどうかということと日米安保体制を維持するかどうかということは分けて考えた方が私はいいというふうに思っておりますし、その方が合理的であるというふうに思います。
 例えば、海兵隊が沖縄に一番多いですけれども、海兵隊が、沖縄に基地がなければ私たち仕事ができませんよなんて弱気を吐くはずがないんですね。世界一、展開力、即応力があって、緊急展開を旨とするというか、おはことする部隊が、特定の場所に基地がないと私たち仕事ができませんなんということは言うはずもないというふうな気がしております。
 そこで、先ほど照屋委員が建白書のことをおっしゃっておりました。照屋委員も、河野大臣の英断によって国立公文書館に所蔵されることの運びになったというふうに大変高い評価をされておりましたけれども、これは歴史文書、歴史的な公文書という位置づけがなされるであろうと。しかし、問題は、まだ歴史になっていないと。
 お配りした資料の一なんですけれども、これは、つい最近私が撮影した、普天間飛行場のすぐ近くにある普天間第二小学校の運動場です。この木々の向こう側、写真の一番上の方、これが普天間飛行場です。これはクリーム色ですかね、これがシェルターということです。何でそれがあったかというのは、もう多くの方が御承知だと思いますけれども、ヘリコプターの窓枠がこの小学校のグラウンドに落ちた、だから、小学生たちはヘリコプターの機影、オスプレイの機影を見たときにこのシェルターに駆け込まないといけないという、そんな状況がまだ続いている。だから、歴史にはできないということなんですね。
 それで、去年の暮れに防衛省が発表した、普天間代替施設、辺野古埋立てが今後十二年間続きますということを明らかにしたんですけれども、この十二年間の危険性の除去というのは果たしてどのようにお考えなのかということを御説明ください、お願いします。

○河野国務大臣 日米同盟の抑止力の維持と普天間飛行場の危険性除去を考え合わせたとき、辺野古移設が唯一の解決策であり、この方針に基づいて着実に工事を進めていくことこそが、普天間飛行場の一日も早い返還を実現し、その危険性を除去することにつながります。この普天間飛行場の返還による危険性の根本的な除去を一刻も早く実現するため、辺野古移設に向けた工事を着実に進めていきたいと考えております。
 また、政府としては、移設までの間における普天間飛行場の危険性除去が極めて重要な課題であるという認識のもと、成果を積み上げてきています。
 具体的には、空中給油機十五機全機の岩国飛行場への移駐や、オスプレイの沖縄県外への訓練移転等を実現しています。さらに、普天間飛行場が有している緊急時の航空機受入れ機能については、築城基地の滑走路延長を除く施設を整備の後、新田原基地及び築城基地へ移転する予定です。これらの施設は二〇二二年までに整備を進めていきます。
 政府としては、辺野古への移設を待つことなく普天間飛行場の危険性の除去を進めるために、引き続き、できることは全て行うという姿勢で全力を尽くしていく考えでございます。

○屋良委員 大臣、日米同盟の維持と抑止力の維持、これはシステムの話であって、ポスチャーではないはずであります。
 現実の問題として、この写真の状態がこれから十二年、一日でも早いということを今大臣はおっしゃいましたけれども、これが十二年これから続くんですね。そうすると、これから十二年間、一日も早いということを政府は繰り返し繰り返し答弁なさらないといけないことになるんですよ。
 これは、どなたかが責任を持って対応策を考えないと、十二年、この子たち、シェルターに駆け込むということを、私たちは、この国は許していいんでしょうか。これはちょっと、どうも、なぜこれが許されるのかということが根本的な疑問としてあって。
 政府は、いろんな機能移転の中で、オスプレイの飛行訓練の一部を佐賀空港に持っていくという努力をなさいました、試みをなさいました。でも、それができなかった。これは何でできなかったんでしょうか。もし御存じであれば御説明ください。

○西銘委員長 コンパクトにお願いします。

○槌道政府参考人 海兵隊によります佐賀空港の利用につきまして、二〇一四年七月二十二日、当時の武田防衛副大臣が佐賀県を訪問した際に、当時の佐賀県知事、古川知事に対しまして、陸自のティルトローター機部隊の佐賀空港への配備、それから、目達原駐屯地に配備されている陸上自衛隊ヘリコプター部隊の佐賀空港への移駐、さらに、沖縄の負担軽減のために米海兵隊が佐賀空港を利用することを政府としても視野に入れているということについて説明をいたしました。
 米軍オスプレイの沖縄県外における訓練などが専ら佐賀空港に集中するといった懸念や誤解を招いたということから、その後、二〇一五年十月二十九日の当時中谷防衛大臣の佐賀訪問の際に、自衛隊機の配備、移駐とは切り離す旨を御説明し、米軍オスプレイに関する従来の要請を一旦取り下げることとしたという経緯でございます。

○西銘委員長 屋良朝博君、時間です。

○屋良委員 分散移転については非常に反対があって、政府が進めようとしている沖縄の基地の負担軽減が実現しないままに来たというのは、まがいもない歴史上の事実でございます。
 そうすると、安全保障は大事だ……

○西銘委員長 時間です。

○屋良委員 わかりました。
 安全保障は大事だ、抑止力を維持しようという割には、維持していく覚悟がこの国にあるのかどうかが沖縄の問題を通して問われているものだと思います。
 時間が来たので終わりますけれども、更に今後とも議論を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 ありがとうございます。