2024年12月19日 衆議院 安全保障委員会 屋良朝博

■米兵の少女誘拐暴行事件及び米兵再編と海兵隊について質問。

質問内容についての要約

米兵の少女誘拐暴行事件及び米兵再編と海兵隊について質問。

議事録

 第216回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号 令和6年12月19日

○屋良委員 委員長、そして両大臣、よろしくお願いいたします。立憲民主党の屋良でございます。
 所信の質疑ということで、これは石破総理もおっしゃっていたわけですけれども、沖縄の負担軽減を政府の重要な課題として取り組んでいただけるということを繰り返し所信で表明していただいているということでございます。
 ここで、言葉の意味というか、負担軽減とはどういうことなのかということを、まずそもそも論で議論させていただきたいと思っております。
 両大臣とも安全保障、防衛については大変精通なさっているお二人なので、そこのところ、そもそも論になりますけれども、負担とはどういうものなのか、それを軽減するとはどういうものなのか、最近グアムへの移転が始まったという報道もありますので、そういったところも突っ込んで少し議論させていただきたいと思っております。
 一般的に、沖縄の基地というのは、戦争が終わって米軍が駐留してそのままずっと駐留しているというイメージがあると思うんですけれども、それは間違っていて、戦争が終わった直後は本土側の方が駐留米軍はずっと多かったわけです、御承知のとおり。比率で言うと八対二、ほとんど本土だったんです。それがどんどんどんどん沖縄に移転してきた。今、沖縄の米軍基地の七割を占有している海兵隊です。だから、全国の中で沖縄に米軍基地が七割集中しているんだよという数字はよく出てきますけれども、沖縄の中でどれぐらいの部隊のシェアかというと、七割が海兵隊です。
 その圧倒的に大きな存在である海兵隊がそもそもどこにいたのかというと、余り広く知られていない。そもそもは岐阜県や山梨県や静岡県に分散配置されていた。一九五〇年来、朝鮮戦争があって、朝鮮半島を警戒するために海兵隊が日本に配備されたのが初めであります。
 それが沖縄になぜ来たのかということです。岐阜県とかに配備されたのは一九五三年。沖縄に移駐してきたのが一九五六年で、僅かな間です。それはなぜかということを議論させていただきたいんですけれども、資料一でまとめてみました。
 一九五〇年代というのは、六〇年安保とか七〇年安保にかけて国内のあちらこちらで基地の反対運動があった時代です。その中で海兵隊が来て、海兵隊に対しても反対運動が起きたということです。
 そんな中で、アメリカの政策は、在日米軍に対する日本国民の反対が強くなって政治的なコストが高くなると日米関係は不安定になるから、沖縄に集めましょうということをはっきり書いてあるアメリカ国務省の一九五六年十二月二十一日付の日本における米国の軍事的立場の再考というレポートがありまして、その中に何が書かれているかというと、米軍基地の存在を日本国民の目に留まりにくいようにして、反基地感情を減らすべきだ、日本に駐留する政治的コストが高騰した場合、本土から撤退し、沖縄を主要基地として保持し続けるというふうに書かれております。
 ということは、今、抑止力の維持、あるいは地理的優位性、安全保障の問題、日米同盟の問題という言葉でいろいろ沖縄の基地について説明がなされますけれども、元をたどれば、政治的な判断で、日本国内で基地問題をクローズアップさせたくなかったというのが当時の判断であったということが言えると思うんです。
 大臣、政治的な背景があったということについて大臣の御見解を伺いたいんです。中谷大臣、よろしくお願いします。


○中谷国務大臣 当時は朝鮮戦争の終わった後ということでございました。それまでの日本は、戦争に敗れまして米国の占領を受けるということで、米兵が全国各地に展開いたしまして、武装解除や戦後の政治の安定ということで寄与されていましたが、朝鮮戦争が始まりましたので、多くの米兵が朝鮮半島に行かれました。その後、終戦後、日本に帰ってきたわけでございますが、そういう意味では、基地をある程度集約し、また、米兵の目的も日本の安定統治から極東の平和、安定というような観点もありまして、沖縄の方に集約された部分がございます。
 海兵隊などは、一番まとまったところに所在することが運用上便利である、また、まとまった部隊がすぐに行動できる手段があるというようなことで検討されて現在の配置になったのではないかと思っております。
 したがいまして、その状態で現在も海兵隊等を中心とした移設などを検討しておりますが、何とといっても、東南アジアへの対応など、極東地域の平和と安定のためにいかにあるべきであるのか、国際情勢をにらみながら所在しているのではないかと思います。


○屋良委員 政治的な状況よりも、軍事的な理由、その合理性を優先させたので沖縄に集約したんじゃないかというお考えを今述べられたと思います。
 しかし、軍事が政治を優先することはほとんどあり得ないことだと思っております。なぜ最初に岐阜、山梨、静岡に駐留したのか。それは朝鮮半島を警戒したからであって、五〇年代の半ばはまだ朝鮮半島は不安定です。なぜ遠い沖縄に持ってきたのか、理由が全く分からない。アメリカの資料を読んでみると、それは本土における反対運動が強くなったから沖縄に移転させたんだということがはっきり書かれているわけです。
 先ほど大臣がおっしゃったのは、あたかもアメリカがそういうふうに考えているからということをおっしゃったような気がしますけれども、アメリカがそんなことをやりますかね。だって、日本は独立国じゃないですか。独立国の中で、ここをよこせ、この土地を、この場所を、俺たちの機能で必要なんだということを言いますかね。そうすると日本はどういう立場になるかというと、植民地ですよ。それはちょっとおかしな話になると思います。
 資料二で御提示したのは、これはほとんど十年ぐらい前の話になります。まさに中谷大臣が大学生のインタビューに答えてこのようにおっしゃっているんです。普天間の負担軽減でいろいろなところ、場所を探しているんだけれども、これがうまくいかないんだよね。辺野古の移転についてもなかなかうまくいかないんだと。ほかのところで理解してくれる自治体があれば移転できるんだけれども、なかなか米軍反対というところが多くてね、なかなか米軍基地の移転が進まないということで、沖縄に集中しているのが現実です。九州とか北海道とかそういうところにお願いはしています。基本的に米軍が一番沖縄が便利だという理由はあるんですけれども、分散しようと思ったら九州でも分散できるんですけれども、民主党の時代のときに県外へということでやってみてもうまくいかなかったんですよね。なかなか抵抗が大きいという現実がありますというふうにおっしゃっています。
 今私が読んだのは、この当時のインタビューがユーチューブでアップされて、それを私は記録してあるんです。今でも僕のパソコンの中に入っていて、当時の先生の生の声がいつでも聞けるようになっているんですけれども、まさに先生は正直に真摯に学生たちに自分のお考えを説明なさっているわけです。
 だから、先ほど言いましたけれども、政治的な理由ですねということは、まず軍隊と政治との関係の上では当たり前の話。だって、外国軍が沖縄をよこせと言うはずがないし、それをそうですねと言う受入れ国もあってはいけない、基本的には。論理的にはそうだと私は思っている。
 ただ、現状を説明する上では大臣が先ほどおっしゃったような説明を言わざるを得ない。なぜかというと、本土に持っていくと日米同盟が空中分解しちゃうからということなんじゃないでしょうか。六〇年安保、七〇年安保が再来しちゃうということになります。そうすると、日米同盟を管理する上で大変リスキーなので、今、政治的な理由で沖縄に集中していますというのが大臣の御発言だし、過去の経緯を見るとそういうふうに理解するしかない。
 さらに、政治と軍隊の関係を見ても、軍隊というのは政治の決定に従って動く、政治の決定を最大限、一〇〇%遂行するために動く、そういうふうに訓練されているはずであり、そのように配備されているはず。そうじゃないとおかしな話なんです。
 しかも、海兵隊の機能を見てみると、中谷大臣も当然御承知だと思いますけれども、彼らの移動手段は海兵隊だから主には船ですよね。その船は長崎県の佐世保にしかないじゃないですか。だから、朝鮮半島で何かがあります、あるいは、東シナ海、南シナ海で何かがあります。船が長崎から出航して、沖縄で兵力と物資を載せて、オスプレイとかヘリコプターも載せますよ。それで出ていくわけでしょう。朝鮮半島の有事で出ていくとなった場合、北から南に下りて、また北に上がっていかないといけない。そんな不合理な配備になっている。
 なので、大臣が学生たちにちゃんと説明したとおり、これは政治的な問題なんだということをまずお認めになった上で、その上で負担を軽減していきましょうという話だったら私たちは分かります。
 ただ、沖縄の人のために、普天間の危険性を一日でも早く除去するために私たちは頑張っているんだよというふうなことを言われているので、どうもそこのところはしっくりこないわけです。やってあげているんだけれども、沖縄の人たちがよく理解していないのか、あるいは安全保障を知っていないのか、反対するんだよねなんていうスタンスで説明されると、ちょっと待ってよ、では、安全保障の負担というのはどういうふうに日本全体で受け止めるんですか。ずっと沖縄側からの提起があるじゃないですか。
 自分たちのところでは、昔、一九五〇年代に、アメリカ海兵隊はいろいろな問題もあるから、事件、事故を起こして負担が重いから出ていってくださいといって、出ていった先が沖縄になっちゃった、五十年前に。それがずっと続いているということなんです、多分、歴史を振り返ると。
 それをしっかりと真っ正面から向き合わないと、この負担軽減という言葉がどこを目指しているのか全くよく分からない。しかも、一日も早くという言葉。どれだけ一日も早くなんでしょうか。日米両政府が普天間を返還しましょうねと決めたのが二十八年も前です。当時は橋本龍太郎総理が五年ないし七年のうちに返しますよというふうに約束されているわけです。辺野古の埋立許可を当時の仲井真県知事から取ったときに、五年以内に使用停止、運用停止しますよとこれまた約束されている。全然約束が守られていない。にもかかわらず、一日も早く、一日も早くと。
 沖縄の負担をどのように解決するか、あるいは、どのように規定するかということすら言葉が乱れている。言葉を使う人によって全然その定義が違ってきているという状態がずっと続いているわけです。これはとても不健全であり、日本にとって不幸だと私は思っております。全然解決できない状況になっている。それを変えていかないといけないわけです。
 大臣は、この間沖縄に来られて、百人が移動を開始しますよとおっしゃいました。千里の道も一歩からで、百人を取っかかり、それがスタートになって、これから予定が組まれているはずですから、グアムへの移転なりが始まると思います。これは、いつまでにやるかとか、そういったこともしっかり明示してくれなければ、負担の軽減と言われても対応するのが大変なんです。
 だから、もう一度お伺いしますけれども、沖縄の負担というのは一体どういうふうに理解すればいいのかということです。政治的な問題で沖縄に基地が集中しているというふうに規定すべきだと私は思いますけれども、もう一度、インタビューで大臣がおっしゃったことの真意をお聞かせください。


○中谷国務大臣 これは、二〇一四年当時でありますけれども、私が議員会館にいたときに、ひょっこり学生が来られて、この報道の内容の話をしました。まさかインターネットに載るとは思いませんで、その後、琉球新報に載ってしまいましたけれども。
 これは、正直な気持ちで、私も、沖縄の負担軽減ということで、負担とは何かというと、騒音とか土地の利用とか、様々に県民生活に影響を及ぼしていることが一つであります。
 私は二〇〇一年に防衛庁長官に就任しましたけれども、このときは、負担軽減という意味におきましては、モンデール・橋本合意がありまして、キャンプ・シュワブ沖に普天間を移設しますというようなプランがありまして、それが辺野古のところに行って、そのときは移設協議会というものができて、そこからスタートしたんですけれども、少しでも負担軽減を図るということで、政府を挙げて沖縄の米軍基地の縮小、移転に努めておりました。
 その後、嘉手納以南も全面的になくそうということでプランが進んでおりまして、前回も玉城知事とも各市町村長さんとも面談をいたしまして、現在の状況や御意向を聞きまして、一日も早く移設が進みますように努力しなければという思いでございます。
 しかしながら、県外、国外という話がありましたが、実際、訓練の移転とか飛行機の移設とかはできましたが、基地自体を受け入れてくれる自治体がほとんどなかったわけであります。
 そういう意味で、グアムの方へ移設するということで話もまとまりましたので、そういうことで、少しでも沖縄の基地の負担軽減、縮小のために全力を挙げていかなければならないと思っております。


○屋良委員 ありがとうございます。ひょっこり現れた大学生のインタビューに正直に答えられたというお話で、まさに中谷大臣らしいなというふうに受け止めました。
 今おっしゃったとおりだと思います。今、大臣は原稿なしでお話しになっていたので、そのとおりの御発言をされたのかな、真摯にお話しになられたなと私は受け止めましたけれども、政府がそこのところを表に出すというのは難しいとは思います。だって、自分のところに米軍基地を受け入れることをやる人はいないし、多分、それを受け入れたところで地元が反対するし、それを受け入れた政治家は落選するし、これは政治では大変重いことになるだろうな。それが今沖縄に七割が集中しているわけですから、私たちも本当に大変ですわ。
 毎日毎日お年寄りが、おじいちゃん、おばあちゃんたちがずっとゲートの前で反対の気勢を上げているわけです。これをずっと三十年近くやっていて、辺野古はいつ終わるか分からないけれども、今のところ十二年かかると言われていますので、都合四十年間それをやらされ続けている地元の人たちの身にもなっていただきたいと思います。
 その上で、大臣がおっしゃったように、政治の問題である、負担軽減、負担の偏重だということをみんなでコンセンサスを持って当たった方が私は正直な政治になるのではないかと思っております。
 それで、グアムに移ります。グアムに移る兵力はかなりの数です。今二万人近くいると一応言われていますけれども、そのうちの半分ぐらいが、九千人ですかね、いなくなるということです。実動兵力でいうと六千人ぐらいの実動兵力が移って、残るのは三一海兵遠征隊という機動展開部隊です。それの地上戦闘兵力は八百人ぐらいにしかならないんです。だから、地上戦闘兵力の数で見ると、グアムやオーストラリアやハワイに行くのは六千人、沖縄に残るのは八百人ということなので、これはかなりの兵力移転になります。
 そこのところは余りクローズアップされていなくて、司令部が多く残るわけですけれども、そうすると、抑止力の維持というところで、はたと考えてしまうんです。沖縄に八百人しかいなくても抑止力の維持になると言えば抑止力の維持ですよ。八百人しか残らなくても安全保障のために必要だと言えば、それは安全保障のために必要だということになってしまう。その言葉を使う定義者がどのポジションにいるかによって定義されていく。大臣がおっしゃれば、それはそうだろうなというようなイメージになるんでしょうけれども、私が言っても、おまえはうそを言っているんだろうみたいな話になるんじゃないのかなと思います。
 ただ、数字を見た場合、かなり小さな部隊になるということが前提でなければ、これは事実なので、それをずっと、抑止力の維持であり、安全保障のためでありというふうなことで説明されていることの窮屈さというんですかね、何か無理があるような気がするんです。
 31MEUは別に沖縄にいなくてもよくて、一年間の半分以上は、六か月とか八か月ぐらいは長崎県の佐世保にある船に乗ってアジア太平洋地域をぐるぐるぐるぐる回っているわけじゃないですか。それが事実であるとすれば、沖縄の辺野古が唯一の解決策だということも言葉の定義として正しいのかという疑問が湧いてくるわけです。
 ここで私が大臣にお願いしたいのは、分かっているスケジュールは前倒しで公表していただかなければ、どれぐらいの土地が返ってくるのか、そのためにはどれだけの予算が必要なのか、これは地元の自治体にとっても大変なものですよ。
 今、大きな土地が返還されたところが何か所かあります。そこは三十年ぐらいかけて跡利用を進めてすばらしい町づくりができています。それぐらいの時間を要するということなのです。
 だから、二〇一二年に米軍再編が決まって見直しがされて、ようやく十二年後に今百人が移るという話になっているわけです。そうすると、いつ返ってくるのか、いつこの土地は地元が利用できるようになるのかをあらあらでも説明していただかなければ地元が行政的に対応できませんので、そこのところを分かっている範囲で是非とも公表していただきたいんですけれども、どうでしょうか。


○中谷国務大臣 計画によりますと、今後は、段階的に行われますけれども、四千人以上の海兵隊の要員が沖縄からグアムに移転することを日米間で確認しております。
 せんだって沖縄に参りましてターナー四軍司令官に面会し、今後のことにつきましてもお話をいたしましたけれども、今後の計画については、米側において、厳しい安全保障環境の下に、インド太平洋地域における多様な事態に対応できる運用能力と体制の維持、確保を考慮しつつ検討を進められるということでございました。
 事実、沖縄の海兵隊はこの地域の平和と安定のために寄与しているところでございまして、抑止力と対処力を維持していくことにおきましては、沖縄に海兵隊が存在していることは非常に重要なところでございますが、一方で、移設するということも約束しておりますので、こういう国際情勢の中で、今後、移設をできるだけ早く進めていただくように努力していきたいと思います。
 防衛省としましては、可能な限り早い時期のグアム移転の完了に向けまして、引き続き、米側に情報提供を求めるとともに、情報が得られ次第、地元の皆様方に説明していきたいと考えております。
 また、自衛隊も沖縄に駐留しておりますけれども、日米同盟の抑止力、対処力という観点で、訓練にしても勤務にしても、いかなる体制がいいのか、常に米側と調整して協議していきたいと考えております。


○屋良委員 ありがとうございます。
 資料三でお示ししたのは、GAO、アメリカの会計検査院の資料です。結構前のものですが、当時から二〇二四年にグアムへの移転が始まるというようなことが書かれていて、半分ぐらいは二〇二六年ぐらいまでに移転し、二〇二八年にはそれが完成するだろうというふうな見通しがアメリカ側の資料には出ているのです。それがさっぱり国内では見通しが示されていないという現状は、地元、返還を受ける側にとってみたら、先が見えない話で、その跡利用の予算確保もできなくて、非常に不親切であり不誠実だなと思っていますので、是非とも防衛省においては、その辺をしっかりと、地元が跡利用できる、これも負担ですよ、その負担を軽くしてあげるような対応をしていただきたいとお願いしたいところです。
 抑止力の維持について大臣は話されましたけれども、こんなに兵力が減って抑止力が維持されるんでしょうか。実戦兵力でいうと、六千人ぐらいが八百人ぐらいになると一個大隊になっちゃうよ、31MEUで。
 何度も私は質問していますけれども、どうも釈然としないのが、政府がこれまで繰り返し、何かがあったときには沖縄に分散した部隊が戻ってくるから大丈夫だよ、集結するから大丈夫だよというふうな説明をされるんです。質問主意書を出して答弁書にそのように書かれていたので、びっくり仰天。何だ、何かがあったときに集まればいいのか、それだけの話かというふうな気がしたんです。変な話じゃないですか。沖縄じゃないと駄目だというふうなことを言われていて、米軍再編で兵力が低下してハワイとかグアムとかに分散するんだけれども、何かがあったら沖縄に集結するから大丈夫ですというその答弁書を読んだときには、これは説明が崩壊したんじゃないかなと思いました。
 なので、抑止力の維持という言葉の使い方も定義も日本政府が言うのはなかなか分かりにくい。ただ、アメリカの方で資料を求めたり、あるいはアメリカの国防総省の人たちと話していると、別に沖縄じゃなくていいよと。大臣が大学生にお話しになったことですよ。航空部隊と地上戦闘部隊が一緒にいるのは連携訓練をしないといけないからであって、日頃の連携が必要なので一か所に集まっている。そうしたら、地上戦闘兵力と航空部隊を一緒にどこかへ持っていくことは可能じゃないのと聞いたら、あなたの論理を否定することはできませんと言われました。そのとおりだと思います。
 だから、そもそも、持っていくところがないから沖縄に集中させておく、それを合理性を装って説明しないといけないので抑止力とか地理的優位性とか言っていると思っておりますので、是非ともここは分かりやすく地元には説明していただきたいと思います。スケジュール感も含めて、どれだけの負担軽減になるからどれだけサポートしていくんだよというようなことを併せて説明していっていただきたいと思います。これはお願いで終わらせていただきます。
 時間も押してきましたので、次に、去年の十二月、ちょうどこの時期に、アメリカ兵が十六歳未満の未成年の女児を誘拐、拉致し、レイプ、強姦したという事件がありました。それが六か月間全く公表されなかった。外務省が隠していたんです。
 私は、当時、日米が決めた連絡網がある、これに乗せなかったのはなぜかということをさんざん質問したんですけれども、この連絡網に乗せないという判断を事務方が決めましたと言うんです。事務方のどのレベルの誰がやったのかと聞いたら、全く説明してくれない。大臣には適宜説明しましたと。前大臣にですけれども。そういうふうな御説明だったんです。
 連絡網に乗せないということは、防衛省も分からないし、防衛省の出先機関である防衛局も対応できなかったという大変な問題だと思うんです。日米間で決めた連絡システムを一方的に外務省の事務方が無視したということなんです。
 もう一度同じ質問を大臣にさせていただきたいんです。
 これは組織の中のガバナビリティー、シビリアンコントロールの問題だと思います。誰が、どのような立場の人が日米合意を蹴飛ばしてもいいという判断をなさったのかということを是非ともお話しいただきたいと思います。お願いします。


○岩屋国務大臣 御指摘の事件に関して、本年十二月十三日、那覇地方裁判所は懲役五年の有罪判決を言い渡しましたが、本件のような事件が発生したことは極めて遺憾でございます。
 お尋ねの一九九七年の日米合同委員会合意に基づく通報の取扱いについては、日頃から外務省事務方において対応しております。
 本件につきましては、捜査当局において、事案が公になることによって被害者の名誉、プライバシーに甚大な影響を与えることがあり得ることなどを考慮して、非公表とすべきと判断したものと承知しておりまして、外務省におきましても、そのような捜査当局における判断を踏まえて、事務方において関係者に対する情報提供は控えるべきものと理解し、対応したところでございます。
 この対応方については、既に改めているところでございます。
 そして、誰だったのかというお尋ねですが、外務省としては組織として対応していることでございますので、誰であったかということを申し上げることは控えさせていただきたいと思います。


○屋良委員 日米合意があったという前提で考えた場合、それにのっとらなくてもいい、それを守らなくてもいいということの判断というのはやはり重大だと思うんです。それによって防衛省は対応できなかったし、沖縄県も対応できなかった。
 警察がこの手の事案を公表しないのは当たり前です、それは、みんなそうやっているから。公表か非公表かという話じゃなくて、この連絡システムに乗せるか乗せないかという話です。そうすることによって関係省庁が対応できるわけです。この子のケアもできるし、再発防止をどういうふうにしようというのが迅速にできるわけです。それができなかったのが今回の事案なんです。
 この子のプライバシーや尊厳を守るためと言いますけれども、この子は裁判所で被害者として証言しているんです。あのとき何があったかということをこの子はしゃべらないといけなかったんです。これをプライバシーの保護とか言っている外務省の人権意識のなさ、私はこれは大変な問題だと思っています。
 だから、誰がどういうふうなポジションでこの判断をしたのかということは重要だし、それを組織としては明らかにすべきだと思いますけれども、最後にもう一度伺います。お願いします。


○岩屋国務大臣 先ほども御説明したとおり、本件については、捜査当局において、この事案が公になることによって、むしろ、被害者の人権といいますか、名誉、プライバシーに甚大な影響を与えることがあり得るという判断に基づいて、外務省においてもそのような対応をさせていただいたところでございます。
 そして、この事案を受けて、通報の仕組みについては改めさせていただいておりまして、今後、沖縄県警から米軍人等による性犯罪で報道発表しないものについて、検挙後に那覇地方検察庁と相談した上で、被害者のプライバシー保護等に留意しつつ、可能な範囲で沖縄県への情報共有を行うことになったと承知しております。


○屋良委員 時間なので終わりますけれども、この問題は引き続き質問させていただきます。よろしくお願いします。
 ありがとうございました。