少女暴行事件から四半世紀、何が変わったのか

2020年10月21日

沖縄が怒りに燃えた。

米海兵隊3人による少女暴行事件が1995年9月に沖縄で発生、小さな島に激震が起きた。

10月21日、普天間飛行場がある宜野湾市の海浜公園を沖縄全土から集まった8万人余りの人々が集まった。

当時の大田昌秀知事が「行政の責任者として、一番大事な幼い子供の人間として尊厳を守ることができなかったことを心の底からおわびしたい。本当に申し訳ありませんでした」。

沖縄の自民党も含め、県議会の全会派が参加した。まさに島ぐるみの抗議だった。

あれから四半世紀が過ぎた。何が変わったのだろうか。

日米安保は大事だと言いながら、沖縄のみに負担を押し付ける無責任さ、冷戦が終わっても新たな国家ビジョンを示さないこの国の政治はまったく変わらない。

少女暴行事件への対応として住宅地の真ん中になる海兵隊普天間飛行場の返還を日米両政府は合意した。普天間の風景は少しも変わらず、住宅地の上空をなめるようにオスプレイやヘリコプターが飛び、小学校グランドにヘリのドアが落ちる事故も起きている。

現実的対応という名のご都合主義、国民の声を聞かない忖度政治が続く限り、沖縄を縛る鎖が解かれることはないだろう。政治を変えるしかない。

沖縄・少女暴行事件から25年 県民の怒りで「普天間返還」契機になるも…変わらぬ現状 〈AERA〉

沖縄の女児が3人の米軍人に暴行された1995年9月の「少女暴行事件」。事件の衝撃は県民の怒りに火をつけ、日米安保体制を足元から揺るがした。あれから25年。浮き彫りになった課題は置き去りにされたままだ。AERA 2020年9月7日号で掲載された記事から。 【年表で見る】少女暴行事件後の沖縄をめぐる動き *  *  * …